四日市市県地区まちづくり委員会

あがたの寺院・説教場

誓海寺 のあらまし

seikaiji-kitano

誓海寺は、北野町 3番地にあって、正式名称を「七宝山 誓海寺」といいます。真宗大谷派(東本願寺)の末寺です。

 

本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。本堂、鐘楼、庫裡(くり)、書院が整っています。

 

寛永の頃(1624~1643)に災害に見舞われ、寺宝、古記録のほとんどを焼失して、創設時期・開基とも分かっていません。

 

 

seikaiji-kitano00

 

本尊の裏書に慶安5年(1652)王辰馬日としるされていますから、この頃、藤波全哲住職が再興したものと考えられます。

 

※ 【庫裡】 くり・・・寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

 

※ 【堂宇】 どうう・・・殿堂。もと、堂の軒(のき)

 

 

 

蓮行寺(江村)

 

蓮行寺(れんぎょうじ) のあらまし

 蓮行寺

 

蓮行寺は、江村町811番地にあって、正式名称を「水谷山 蓮行寺」といいます。

真宗大谷派(東本願寺)の末寺です。 本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。

本堂、鐘楼、山門、庫裡 くり 、書院が整っています。 慶安元年(1648)のころまで栄えていたことは記録にありますが、開基が誰で創設がいつであったかは全くわかっていません。

 蓮行寺の立て看板

 

 

 

了賢という住職の行いが悪く、津の藤堂藩主に追放されて廃寺となりました。

延宝元年(1673)に、現在の鈴鹿市箕田の安養寺から順能という僧が来て再興しました。

本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。

本堂、鐘楼、庫裡 くり 、書院が整っています。

 

 

※ 【庫裡】 くり・・・寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

 

福泉寺(ふくせんじ) のあらまし

福泉寺

 

 

近江国神崎郡上郷山田の小倉宮内少輔頼利が、本願寺八世蓮如の弟子となり出家、教尊という法名をもらって寛正3年(1462)平尾に一宇を建てたのが、福泉寺のはじまりです。

 

 

 

 

福泉寺 境内の様子

 

 

 

 

 

 

平安寺(へいあんじ) のあらまし

平安寺

平安寺は、平尾119番地にあって、正式名称を「長福山 平安寺」といいます。臨済宗妙心寺派の末寺です。

本尊は釈迦如来、宗祖は栄西禅師、妙心寺の開祖は関山慧玄師です。

本堂、庫裡 くり 、奥部屋があり、いずれも新しい建物に建て替えられています。

平安寺はとても古い歴史をもっています。

寺屋敷(場所不明)にあって天台宗に属していましたが、永禄12年(1569)織田信長の命により滝川一益が焼き払ってしまいました。

約90年後の万治2年(1659)に平尾村豪族 千種太良左衛門が所有地をさいて再建しました。

延宝8年(1680)菰野町見性寺の瑞溪和尚が入寺し、この僧を平安時の開基としています。

 

※ 【庫裡】 くり・・・寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

誓源寺(せいげんじ)のあらまし

誓源寺 (上海老町)

 

誓源寺は、上海老町780番地にあって、正式名称を「西岡山 誓源寺」といいます。 真宗大谷派(東本願寺)の末寺です。

本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。

本堂、鐘楼、庫裡 くり 、観音堂、書院が整っています。

 

最初は禅宗の寺院として創設されたのですが、その後、浄土真宗高田派に改宗し、さらに明治19年(1886)、現在の真宗大谷派に転派し、見敬が初代住職となりました。

 

※ 【庫裡】 くり・・・寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

明林寺(みょうりんじ) のあらまし

明林寺 (下海老町)

 明林寺は、下海老町1698番地にあって、正式名称を「玉横山明林寺」といいます。

 

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の末寺です。

 

本尊は阿弥陀如来、宗祖は親鸞聖人です。

 

本堂、鐘楼、山門、庫裡くり、書院が整っています。

 

平安時代初期に三論宗延喜寺として建てられ、350年ほど後の鎌倉時代初期に天台宗守護寺となったと伝えられています。

明林寺 の鐘楼

 

その後300年余り後に、浄土真宗に改宗し、明智が開基住職となりました。

 

この初代住職明智は、本願寺を制覇しようとする織田信長と戦った石山合戦に出陣し、十艘川の戦いで戦死しました。天正3年(1575)3月のことでした。

 

※【庫裡】くり・・・寺の台所。転じて、住職や家族の居間。

 

 

 

 

上海老町道場 (かみえびちょうどうじょう) のあらまし

上海老町道場

 

 

上海老町公会所の向かいに大きな本堂があり、東側に鐘楼があります。「道場」といわれて親しまれています。

 

正式の名称は「東岡山真宗大谷派盛願寺説教場」といいます。

創設は寛政元年(1789)となっています。

 

 

 

説教場のため住職・門徒はありませんが、上海老の林寺として大切にされています。