下海老の神社のあらまし

御厨衣比原神社下海老町の北西部の字北垣内にあり、 御厨衣比原神社(みくりやえびはらじんじゃ) といいます。

 

以前は現在より約2 km 東北の低地にあったといわれています。

小字名で「宮の前・宮の代・宮の北」などが残っていることから、その辺りではないかと推測されます。

海蔵川、竹谷川の度重なる氾濫で、高台の現在地へ一般の宅地とともに移転したと伝えられています。

 

 

御厨衣比原神社

中世時代には大宮大明神といわれていましたが、明治5年(1872)には「衣比原神社」として名前が見られます。

改称された理由として、稲生神社の御厨であったためか、あるいは神社の付近を「稲場」と言っていたためか、520年前の「醍醐寺文書」に衣比原御厨の名が見られる等によって改称されたのか、種々推察されますが確かなことはわかりません。

今は「御厨衣比原神社」と碑に記されています。

大正4年(1915)県条例で4社が合祀されました。

 

 

  1. 祭神 譽田別命 ・・・・・字大坪に鎮座した若宮八幡大社(八幡さん) 「北の宮さん」ともいわれ、応仁天皇が祀られ7月が祭礼でした。
    金色の蛇が祀ってあるとも思われていたようですが、何の文献もありません。遺跡は約1haあり、椎の大木が茂り、昼でも暗い森で高い階段を登ったところに社殿があったようです。今では個人所有の山林となっています。

  2. 祭神 倉稲魂命 ・・・・・字桜に鎮座した桜神社(おいなりさん)
    倉稲魂命は田の神で、いなりさんと呼ばれていました。明治13年(1880)に現・富田町の伊藤仙寿氏が京都伏見の稲荷から分霊を受け、官許を得てお祀りしたといわれています。

  3. 祭神 豊宇気毘賣神 ・・・・・字北垣内に鎮座した村社衣比原神社(豊受けさん)
    衣比原神社は河芸郡の伊那富(稲生)神社と関係が深かったようです。(約910年前の文献による)。 神社の傍らに観音堂があり、貢ぎものの御厨の稲を収蔵したもので、その辺りを稲堤と言っていたそうです。
    神社の大祭には大きな幟(のぼり)が幾組も立ち、その中の一組には観音さんと仏さんに関係のある「リンボウの紋」の入った幟が立てられたそうです。これは中世の神仏習合のあらわれと思われます。

  4. 祭神 大山祇命 ・・・・・字・北起・字南垣内に鎮座した山の神社(山の神さん)
    山の神社は「山の神さん」と呼ばれ、両地とも大きな松が茂り、正月の6日にはかがり火を焚き、正月の松かざり、しめなわや神宮からいただいた古いお札、大麻を焼くドンドが行われていたようです。 今は「山の神」と刻まれた石が祀られています。

御厨衣比原神社

 

御厨衣比原神社の境内は約1haあり、所々に燈籠がたてられ、その中の3組は天保時代と記されています。

鳥居が二つあり、社殿に近い方は安政年間、入り口の大鳥居は昭和15年(1940)に建立されたものです。

手洗い石は天保末とあり、江戸時代にできたものが多く見られます。こま狗は大正時代の献納となっています。

神殿は神明造りで、昭和の御大典記念に造営され、その他社務所、太鼓倉、土蔵等は数十年前に造られたものです。


祭事は、2月の御鍬(みくわ)、7月の雨乞い(太鼓節で太鼓を打ちならし雨乞いをする)、 それに10月8日の秋祭りです。


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